私には偏見はないのと言う偏見

たまたま某所でLGBTについての話をしたときに、私にはそう言う人たちへの偏見はないのよ、と言われたのが衝撃でした。

偏見はないの、と言うワードはつまり婉曲な偏見にしか見えないんですけど。

当事者目線になることのまだまだ遠い社会の現実を感じさせられました。

私はLGBT当事者ではないんですけれどマイノリティと言う観点で彼らとつながっていると思っています。

性虐待のサバイバーとして育ち、長くPTSDに困惑して生きてきたこと、これはマイノリティであり社会的弱者です。

私の場合は弁護士さんとつながることができて、相手の提訴の手続きを開始して、示談金の提示があったことで自分の中でこの問題は終わりました。

問題は終わり、私は生き直すことができたんです。

私だって自分が看板みたいな商売をしていますから、自分がマイノリティであることを嬉々としてカムアウトしたいわけじゃないんです。

ただ、今のこの時代、まだまだ偏見とか上からワードでものごとを処理する幸運な方たちから見て、私みたいなケースも同情なんかのワードで処理されてしまうのかなと思って書いてみました。

サバイバーであることへの思いはいろいろあるんですが、それはここで書くことではありません。

知りたい方、共感を持ちたい方にはお話はできます。

私は逃げも隠れもしません。

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