お茶漬けの味
小津安二郎と言う映画監督は純和風の象徴と思われていがちだと思うんだけど、元々はハリウッド映画を大変よく研究していて、むしろ戦前の作品はモダニズムを感じさせるものが多い。
戦地的小津はたくさんのハリウッド映画を内密に見る幸運があり、そこで映画には圧倒的なスターの存在が必要だと信念を持つようになった。
これが紀子三部作で知られる原節子のキャスティングへとつながったわけなんだけど、お茶漬けの味は1952年の松竹作品で、原節子はまだ新東宝にいたので小津がキャスティングすることはできなかった。
この作品には、そんなわけで、圧倒的な美貌と華子があるスターの存在はない。
小暮実千代は顔が丸すぎるし眉毛の形がヘン。
津島恵子はデビュー当時よりも少し垢抜けしたけれどやっぱり顔がパンパン。
唯一バタ臭い顔立ちの淡島千景は今回は脇に回って、誰がやってもいいような役。
俳優の主演か佐分利信で、二枚目は鶴田浩二、脇にはいつもの笠智衆と、こちらも華の足りないキャスティング。
顔の美醜に惑わされることなく見ることのできるこの作品ではカメラワークのモダンさと端正さ、静と動のバランスの良さ、つまり小津の映画監督としての資質に改めて瞠目することになった。
たとえば和式の建築物では襖や障子を少し閉めておく撮り方。
これは建具が映像のフレームとなり得ると言う小津独自の解釈だろう。
自動車や汽車移動のシーンでも必ず車窓、橋梁、電柱が映り込むように沿わせて撮影してあるので、常に映像にフレームがあり、どのシーンも引き締まって見える。
これはオフィスでのシーンでも同じ。
壁や柱、キャビネットなどをフレームにみなしているので、人物の動きが際立って見える。
ここまで小津が計算していることを改めて知って、私は今まで小津の映画の何を見ていたんだろうと自分の無能さに呆れるばかり。
パチンコ屋、プロ野球、競輪場と小津映画としては珍しく通俗的なロケーションも多いんだけど、これもバランス良く配置してあるので目障りではない。
この作品を見るのは今回が初めてではないんだけど、いつも女優陣が修禅寺の温泉で着ていた宿屋の浴衣の柄行きの奇抜さで音を上げていたもんだから、それ以外のものが見えてなかったようです。
あれはホルスタイン柄ではなくて、ひょうたん柄でした。
小津好みは時々、デザインが高尚過ぎて、俗人には理解できないところがあるとです。
松竹で芽の出なかった北原三枝がチョイ役で出ていたり、小津好みの象徴、三宅邦子の存在と、まだまだ言いたいことはあるけれど、一言でまとめると芸術とエンターテイメントは並立できる。
それをできるか、やろうとするかの意識の差だけの問題だと思う。