中部病院卒業

今日、内科外来受診で、とりあえず中部病院は卒業となりました。

今後は引き続き以前から通っていたクリニックに通院することになるんですけれど、4ヶ月間、濃かった時間を過ごしました。

きっかけは10月の終わりに高熱を出してから、歩けなくなったことです。

その時は前年にも同じ症状で搬送されて4日間で退院できていたので、気にも留めずに救急車を呼んだんです。

すぐに帰宅できると信じていたから。

搬送途中に私は意識を失い、次に寒さで目を覚ました時は、スーパーの倉庫に寝かされていると思ったんですがICUでした。

ICUにいた時はほとんど寝ていたんですが、半分あの世の途中まで行っていたのかも。

たくさんの長い夢を見て苦しい思いをしました。

合間合間に瞳孔にライトを当てられ、名前と生年月日を聞かれました。

起きている時はICUにいた時が一番平和で良かったです。

たとえば、私は水分の摂取制限をされていたんですけれど、氷なら水分にカウントされないことに気付いて、看護師さんに氷をもらったんです。

冷たい氷のおいしかったこと。

こんなワガママは一般病棟では通用しませんでした。

欲張って氷を3個口に入れたら、あぶないからって氷も禁止になってしまったんですけれど。

食べたいものがあるか研修医に聞かれて、柿!とひたすら言っていたら向こうがあるものを言って来て、いちごアイスクリームで妥協しました。

そこからは一日三回いちごアイスクリームの毎日で、あっと言う間に飽きちゃいましたが、次は勝手にヴィレッジと呼んでたんですけど、H CUに移されました。

ここではアジア人看護師が私の世話をしてくれたんですが、私はそれが気に入らなくて、彼らを一日中挑発していて、いつも喧嘩をしていました。

私は自分で勝手に、自分は人種差別なんかしない人間だと思っていたんですけれど、薄っぺらいコスモポリタニズムなんてすぐに化けの皮を剥がれます。

体の自由が効かず、外国人看護師たちに八つ当たりをする、ただの日本人だったんです。

ヴィレッジには3日間ほどいてここで食事やリハビリが始まり、そこから一般病棟に移されました。

一般病棟に11月下旬までいたんですけれど、つらかったです。

病棟内でマルチの勧誘行為があったりして、抗議しても誰も取り合ってくれないし、看護師さんは私のお茶を隠したり捨てたりするし、本当に頭に来てハンストを始めたら、特大ブーメランで膵臓に炎症が見つかり、絶食になっちゃったりしました。

それでも私は帰宅を急ぎ、まだ満足に歩けない状態だったけれど退院させてもらいました。

今回の入院で私は体重が20キロ近く落ちたんです。

気持ちが塞いで食欲がなくなって、ほとんど食べていなかったから体力もなくて、せっかく退院できたのに、何も食べられなくなって、脱水症状を起こして再び入院しました。

病院では元気なんですよ、点滴しているから。

2回目の入院は短く、今度こそ家で元気になろうと帰宅して、お風呂場で転んで腰を打ち、そこから吐いて吐いて吐きまくりになり、また救急外来に2日間通い、ようやく圧迫骨折と診断されて、今度は整形外科に入院しました。

コルセットができたら転院してリハビリをすると言う話だったんですけれど、老人病棟の騒々しさにうんざりしていたのと、私は歩けていたので転院リハビリは必要ないと判断されで帰宅できました。

これが12月の半ばかな。

そこから内科、整形外科と外来受診を続けていたんですけれど、ようやく今日、一旦卒業って言うか、もう二度と入院しないつもりで、ご縁が切れました。

体の状態はまだ良くなくて、ほとんど寝たきりの生活なんですけれど、内臓の数値は安定しているらしいので、あとは回復するだけど言うような状態です。

結構長かった入院で、私の人生観もすっかり変わってしまったんですけれど、引き続き家で元気になれるように、生きることをがんばりたいと思っています。

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